2022.7.2 ゲームセンターの思い出と成長

高校時代、よく学校の帰りにゲームセンターに行っていた。

学校から自転車で少し行った町には音ゲーが置いてあるゲームセンターが2つあったので、そこに行くことが多かった。

片方は日替わりで色んな音ゲーが100円2クレになるお店Aで、もう片方はDDRが置いてあるお店B*1。双方別々の価値があったので両方とも行ってた。

 

主にそれらの店舗で音ゲーを学んだ。

当時の自分はポップンでレベル47、DDRで足18、弐寺で☆12の地力レベルBをクリアするぐらいの実力があった。あとリフレクビートも全曲クリアしてた。

いずれもその二店舗の影響が大きかったと思う。

バイトをしていない高校生にとって、交通費がかからない上にプレイ料金も安いというのはかなり有り難かった。

 

この記事を書く上で欠かすことの出来ない人物がいる。

それは地元に住んでいるボルテ勢の友人だ。高校は別々の学校に通っていたが、行動範囲は自分と同じぐらい。

なので、特に約束しなくてもどちらかの店舗に友達も来てるということも結構あった。

そういう体験、すごく"ゲームセンター"って感じでいいと思ってる。

 

Aの店舗は自分が高校生の時に潰れてしまって、今は焼肉屋になってる。

消費税が8%に値上がりするタイミングでの閉店だった。

 

Bの店舗はまだ同じ場所にあるけど、店舗は当時の半分になってしまった。DDR弐寺もボルテも当時と変わらない旧筐体のまま。

主にファミリー向けの店舗なのでお世辞にもメンテが良いとは言えないし、遮断用のカーテンもないのでDDRをプレイする際にもマスクが必須。要望は出したけど設置する気はないらしい。

正直DDRがまともにプレイできる環境ではないので、ここも今は行かなくなった。*2

 

その街とは別の場所にもう一つよく行ってたゲームセンターがあったのだが、そこもコロナが流行り始めたぐらいの時に閉店してしまった。家から一番近い店舗だったので、とても残念だった。

他にも学校から自転車で行ける距離にある別の街にはかなり有名なゲームセンターがあったが、今はそこも閉店してしまった。

つまるところ、自分たちが高校時代にお世話になっていたゲームセンターはどこも無くなってしまった。

 

今自分は新宿のゲームセンターに行くことが多い。会社帰りにも行けるし、メンテナンスも良い。

先述の友人も車で別の街のゲームセンターに行っているらしい。たまに一緒に連れてってもらってる。

 

このように二人共地元とは離れた場所にあるゲームセンターに通うようになった訳だが、これって田舎で育った人間が進学や就職を期に上京する流れと完全に一緒だよなぁと思った。

高校生だった僕たちは小さな地元の小さいゲームセンターで育ち、大きな都会の大きいゲームセンターで今もゲームをしているのだ。

僕は通勤定期券、友人は車という当時は持ち得なかった手段で遠くの街まで通っている。高校生だった当時に周りのゲームセンターが潰れていたら、もしかしたらゲームを辞めていたんじゃないかと思う。

 

そう考えると僕達が今も何だかんだでゲームを続けているのは、大人になったということでもあるのだと思う。そう考えるとなかなか感慨深い。

僕達はアーケードゲームと共に確かに大人になっていたのだ。

 

折角なので、Bの店舗に今もあるDDR筐体を撮影してきた。

8年ぐらい前に当時高校生だった自分が踏んでいた時から配置以外は変わっていない。相方だったダンエボも当時大人気だったリフレクビートも撤去されてしまったが、こいつは生き残ってる。

僕は17歳の誕生日、この筐体で初めて足17の譜面をクリアした。

今はもう殆ど触らなくなってしまったけど、これからもこの筐体はここに居てほしいと思う。

 

なんだかんだ言ったけど僕は自分の地元が好きだ。今でも時々新しい飲食店を開拓したりしている。

なので出来ればこれ以上周りからゲームセンターが消えるのは勘弁して欲しい。

*1:白筐体が出るタイミングで入荷した

*2:ただここのゲームセンターは何故かオンゲキ、wacca、ダンスラッシュと比較的最近の機種も入荷しているし、チュウニズムやmaimaiがあるので意外と人は居る。あとジムと同じ階にあるので稀に帰りに寄る